創価の三大秘法

創価学会は、これまで日蓮正宗のの教義に習い、三大秘法の解釈を教えてきたが、現在はこれを捨てている。池田名誉会長と、解釈を変えた原田会長の違いを比べてみよう。

池田名誉会長指導

平成3年11月18日 「創立の日」記念SGI代表勤行会
「御本尊根本」について、少々、述べておきたい。日蓮大聖人の仏法の根幹は、「三大秘法」であり、その根本中の根本は「本門の本尊」である。
日蓮大聖人が、弘安二年(一二七九年)十月十二日に御建立になられた、一閣浮提総与の本門戒壇の大御本尊こそ「本門の本尊」であられることは、いうまでもない。
そのことを、日淳上人は、「日蓮大聖人様の御一代の教えは申すまでもなく三秘五綱(=三大秘法と教・機・時・国・教法流布の先後の五綱)という三大秘法の教判ということにつきるのでございます」と述べられ、次のように明確に示されている。( 昭和三十一年五月三日、創価学会第十四回総会。以下、日淳上人の引用は『日淳上人全集』から)
「日蓮大聖人様の教判によって三大秘法を立て、その三大秘法に於ては上行菩薩として釈尊より南無妙法蓮華経を御付嘱あらせられ、その南無妙法蓮華経の日蓮大聖人の御身にそなえ給うところが事の三大事でございます」
「それを衆生御化導の上に建立遊ばされたのが本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目となってくるのであります。しかも又これが一閻浮提のために御化導遊ばされる上から本門戒壇の大御本尊に終窮究竟の御化導を置かせられたのでございます」
御本尊は、三大秘法の御当体たる「一大秘法」であられる。その御本尊を離れたほかに、「秘密の法」などありえないのである。
また、日淳上人は述べられている。(昭和二十八年十一月二十二日、創価学会第九回総会)
「宗教の最肝心の事は御本尊様であり、その本尊の感応、利益である。只理論、哲学を説くだけなら宗教ではない。御本尊をたてて、その感応利益を体験することが宗教である。
だから宗教の是非正邪は御本尊の正邪に極まるのである。これが批判の基準でなくてはならない。現在のあらゆる宗教をこの本尊によって批判するならば一切の宗教は邪教なりと断定されるのであります」
「大聖人は何の為に御一生をかけて戦われたか、これひとえに一切の宗教が邪教也と断定し、正しい御本尊を弘める為に戦われたのである。正しい本尊を一切の衆生に授ける、これこそ大聖人の御誓願であった」
日淳上人は、大聖人の仏法の究極は、御本尊に尽きるのであり、一切衆生に正しい御本尊を授けて、その功力によって成仏に導くことが、末法の御本仏としての大誓願である、と明確にお示しになっておられる。


原田会長の解釈

今回の改正により、「三大秘法」の定義を「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく『本門の本尊』であり、『本門の本尊』に唱える南無妙法蓮華経が『本門の題目』、その唱える場がそのまま『本門の戒壇』となる」とした。
(※原田)会長の会則改正の趣旨説明に「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇として具体的に顕されたのであります」とあるように、「宇宙と生命に内在する法」、すなわち南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。
これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」や「六大秘法」ということを使用してきたが、「一大秘法」が「本門の本尊」であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。(中略)
以上のように、日寛上人が用いられている、三大秘法を合した「一大秘法」、また、三大秘法を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものには説かれていない。
これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、「弘安2 年の御本尊」を根本の本尊とする、との日寛上人の解釈を採用してきた。
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。’日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。(教宣ハンドブック2018)