質問集2

戒壇の大御本尊と家庭の御本尊の関
【問】総本山大石寺に御安置されている本門戒壇の大御本尊と、私たちが家庭で拝している御本尊の関係について教えてください。

【答】本尊とは「根本尊崇」の意で、信仰の根本の対象をいいます。
日蓮大聖人は、仏法の真髄、宇宙の究極の法理である南無妙法蓮幸経を一幅の御本尊としてあらわされました。その御本尊のなかで究極のものであり、大聖人の出世の本懐の御本尊が、弘安二年十月十二日に御建立され、現在、総本山大石寺に御安置されている本門戒壇の大御本尊です。
 私たちが家庭で拝する御本尊には「奉書写之(之を書写し奉る)」とありますが、「之」とは本門戒壇の大御本尊のことです。
 このように、私たちが家庭で拝する御本尊は、血脈付法の代々の御法主上人が、私たちのために、本門戒壇の大御本尊を御書写くださった御本尊なのです。
 第六十六世日達上人は「我が総本山大石寺こそ本門の戒壇の大御本尊坐します本門戒壇の霊場であります。宗内の末寺、宗内の末寺、及び檀信徒の各家々に安置の御本尊は、血脈付法の歴代法主が本門戒壇の御本尊を御写し奉り、授与せられるのでありますから、その御本尊安置の場所が何処であれ、一応義の戒壇と申しても、その御本尊に向かって一心に余念無く唱うる所の御題目は即座に本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土であり、即身成仏の処であります」と御指南くださっています。
 つまり、大御本尊が分身散影してお出ましになられている家庭の御本尊に、真剣に唱題するとき、即座に本門戒壇の大御本尊に通じ、その法力、仏力をいただいて、即身成仏できるのです。
(「仏法理解のための一問一答」昭和55年発行)
「三宝」とは
【問】「三宝」という言葉をよく聞きますが、その正しい意味について……。

【答】 三宝とは、仏宝・法宝・僧宝のことです。衆生を救い、世を清浄に導く宝なので、仏、法、僧の二つを三宝といいます。私たち衆生が仏道修行に励むうえで、尊敬し、供養すべき三つの宝です。
 ここで三宝の一つ一つについて、簡単にみてまいりましょう。
まず仏宝とは、宇宙の真理を悟り、主師親の三徳を具えられた仏法の大導師をいいます。
 法宝とは、仏の悟りに基づいて説かれた教法をいいます。
僧宝とは、その仏の教えを修学し、伝持していく方をいいます。
ところで、三宝にも仏のそれぞれの教えによって異なった三宝が立てられ、小乗の三宝、権大乗の諸経の三宝、法華経述門の三宝、本門の三宝、文底下種の三宝などがあります。
小乗教の三宝は、小乗の教主(劣応身の釈尊)をもって仏宝とし、空を説く四諦・十二因縁・六度(六波羅蜜)の法門を法宝とし、これを修行する阿羅漢・辟支仏・菩薩をもって僧宝とするのです。
 権大乗教についていえば、それぞれの教主(勝応身、他受用身の仏) が仏宝、空仮中の三諦を基本とする六度、戒定慧の法門が法宝、菩薩大僧が僧宝です。
 また、法華経本門の三宝(文上脱益の三宝ともいいます)は、久遠実成の本果の釈尊が仏宝、法華経如来寿量品が法宝、本化上行菩薩が僧宝です。
末法においては、こうした釈尊の仏法の三宝に執着してはならないのです。
 私たち末法の衆生が信受すべき三宝は、日蓮大聖人の仏法にもとづいた三宝――文底下種の三宝なのです。これを信じ拝することが末法の時にかなった信心なのです。
末法の三宝とは次のとおりです。
仏宝 日蓮大聖人
法宝 本門戒壇の大御本尊
僧宝 第二祖日興上人
 
(「仏法理解のための一問一答」昭和55年発行)
寄付金の強要について
宗教団体にはいったら寄付を強制されたとか、寄付の多少によって扱いを変えられたなどという話を耳にしますが、学会の場合はいかがですか

 創価学会では、けっして、そのようなことはありません。第一学会では通常寄付を一般会員の人からは取っておりません。
 では、どうして現在のような大きな学会の運営がなされているのかと疑問に思うかもしれませんが、学会においては財務部があり、信心が強盛で、しかも経済的に余裕のある、十数万の財務部員が経常費を拠出し、それによって、集会の会場費とか、あるいは会館の建設費、維持費等がまかなわれています。その他出版活動からの若干の利益によって全国に次々と寺院を建立しています。
 このような方法で運営されている団体は世界じゅうにないと思います。
しかも財務部員であろうと、なかろうと、そのことで差別はぜんぜんありません。なにも知らない世間の人々は、現在の日本にある、宗教がことごとく金もうけの、お布施集め中心の宗教であるため、学会までそうではないかと思っているようです。たとえばまったく無力となり葬式仏教といわれる既成仏教も、宗教それ自体に力がなくなり、人を救おうなどという考えはまったくなく、ただどうすればお布施が集まり、生活ができるかということばかり考えている状態であります。
 お寺の再建だといっては何万円も、時には何十万円も寄付の割り当てを強要してくることもいたるところにあります。また戒名はお布施の高により、信士、居士とか死後まで金で差別をしているありさまです。またお布施によりお経も長くしたり短くしたりしています。とくにいなかの人たちは、お墓があり、先祖が世話になっているからと、しかたなく、応じているありさまです。また、新興宗教はもっと、あくどくまったく金集めが専門であります。宗教にこって全財産をあげてしまったという話を、新興宗教ではよく聞きます。
 また学会の幹部の宗教活動は皆、昼は職業に従事した余暇の時間をさいて、しかも自費で行なうのです。他の教団のようなお布施の割り戻しのようなことを本部から受けたり、布教活動により俸給を受けている人はひとりもありません。そのような姿でありますので、質問のようなことはなんら学会におてはありえない問題です。
(「創価学会に関する48問答」昭和39年発行) 

現在は生活保護者からも財務をとっている。
弘安二年十月十二日の御本尊
【問3】 弘安二年の十月十二日の御本尊様について説明して下さい。

【笞】 弘安二年の十月十二日の御本尊様というのは奉安殿の御本尊様のことです。これに対しては、なにものも絶対疑ってば相なりません。いま、安永弁哲が、偽作論の中で、第九代の日有上人様が板曼荼羅を偽作したというのが、他宗の間違った議論なのです。これに皆迷う。
総本山で、明らかにすればいいのに秘密主義なのです。それは「時を待つのみ」というご命令をそのままうけていらっしやるから、正直なのです。本山ぐらい正直なところはないのです。
 有師様が御本尊を偽作したというのは、身延の連中のいうことなのですが、そういわれると、そういうこともあるかなと、思うものもあるでしょう。私は本山へきて、日有上人の御本尊を拝したことがあります。これは現在でも御宝蔵にきちんとしまってあるのです。身延派はこの御本尊様と間違えているのです。またおかしいのは紫良殿御本尊様のことをいっているのでもない、これは年号が違うのです。またどの御本尊様ともいえない。まったくのうそです。弘安二年の御本尊様は弘安二年の御本尊様です。これは拝んでみれば功徳があるのでわかるではないですか。あの御本尊様を他の人が作れますか。私かラジオやテレビを作るようなもので、いくらやっても映らないようなものです。洗濯機にしても私か作ったのでは動かないのです。そのようなものです。大御本尊様を拝んでいれば、そんなことはわかるではないですか。弘安二年の御本尊様は、有師が作ったのではありません。有師様のは別にあるのです。
(「戸田城聖先生 質問会集」昭和38年発行) 
日蓮正宗と日蓮宗はどう違うのですか
 日蓮正宗とか、日蓮宗というような宗名は、明治時代に政府へとどけ出る必要があってつけられた名前です。
 日蓮正宗といっても、日蓮宗といっても、要するに日蓮大聖人の仏法は、ただ富士大石寺にのみに伝わっているのです。大石寺以外にも、日蓮宗、法華宗、仏立宗、本門宗等々のまぎらわしい宗名を名のる宗派がたくさんできていますが、それは日蓮大聖人の教えとは、何の関係もない邪宗教であります。
 南無妙法蓮華経と唱えさえすれば、それが日蓮宗であるかのように誤り伝えられていますが、大聖人の仏法は三大秘法であり、三大秘法の題目とは、大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることであります。
 その三大秘法の大御本尊は、日蓮大聖人から日興上人、日目上人と、日蓮正宗第六十六世日達上人の今日に至るまで、正しく清純に伝えられています。この富士大石寺門流以外には、大御本尊もなく、題目もなく、したがって大石寺以外の日蓮宗などというものが、存在するわけがないのであります。
(「創価学会に関する48問答」昭和39年発行)

破門翌月に、「日蓮世界宗創価学会」の商標登録を申請している。
なぜいろいろな御本尊があるのか
【問10】 御本尊様は一つだといわれておりますがいろいろ違った御本尊様があります。どういうわけですか。また幹部は懐中御本尊様を持っていますが、それはどういうものですか。

【答】 御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体の法というのがあります。この分身散体の法というのは、創価学会を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。
分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するのです。いま、懐中御本尊といいましたが、ふところに入れるものは何でも懐中ですが。これはお守り御本尊といって、われわれが身をもって守る御本尊であります。むかしは功労のあった人に下されましたが、現在も功労によっていただけます。純真に信心にはげんで、お守り御本尊を受けられるようになりたいものです。
(「戸田城聖先生 質問会集」)