御本尊授与Q&A

創価学会がいう御本尊授与の説明

 創価学会の本尊授与について

御本尊のことは法主の権限とされてきましたが、どうなのでしょうか。
① 従来、御本尊のことが法主に任されてきたのは「権限」というよりも、むしろ広宣流布を目指す和合僧団の中での「役割」であると、とらえるべきです。
 また、大聖人の仏法の本義からいえば、法主の地位に就いたから、その人だけに御本尊に関する権限があると考えるのは、大きな誤りです。
② 大聖人が御本尊を顕された目的は一閻浮提広宣流布のためであり、一切衆生の成仏・幸福のためです。
 また大聖人は、信心の血脈が通う異体同心の和合僧団があってこそ、広宣流布の大願も叶うと仰せです。(研修シリーズ 1993年10月号)
 
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「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」(『戸田城聖先生質問会集』) 
学会が独自に御本尊を授与してよいのですか。また、その資格は何によりますか。
① 現代において、広宣流布を目指して、不惜の実践を貫く和合僧団は創価学会だけです。その資格において、学会が会員に御本尊を授与していくことは、いささかも大聖人の仏法の本義に違うものではありません。
(研修シリーズ 1993年10月号)
学会が独自に御本尊を授与したということは、これまでの大御本尊根本の信心が変わったということですか。 
①そうではありません。学会の大御本尊根本の信心は、初代牧囗会長、第二代戸田会長、第三代池田会長と一貫して変わらぬ伝統であり、今後も不変です。
②今回、日寛上人が大御本尊を書写した御本尊を授与したということが、何よりの証拠です。
大御本尊根本の信心は、学会にこそあります。
(研修シリーズ 1993年10月号) 
大石寺の大御本尊を拝さないのに、大御本尊根本の信心といえるのですか。また今後、大御本尊にお目通りする必要はないのですか。  
大御本尊は「一閻浮提総与」「一切衆生総与」の御本尊ですから、広宣流布を目指す信心と、不惜の実践があれば、大御本尊を直接拝さなくても、それは大御本尊根本の信心であり、逆にたとえ大御本尊を間近に拝しても、広宣流布を目指す信心と、不惜の実践がなければ、大御本尊根本の信心とは言えません。
(研修シリーズ 1993年10月号) 
私の御本尊は日顕書写の御本尊ですが、それでいいのでしょうか。
書写する法主が、御本尊の功徳を生むのではありません。信心によって御本尊の功徳が生ずるのです。したがって、御本尊の功徳の大きさは、どの法主が書写したかによるのではなく、あくまでも信心の厚薄によるのです。
日顕書写の御本尊も、学会員の信心が強盛だったからこそ、厳然と功徳が現れたのです。
謗法法主と化した日顕が書写した御本尊は拝したくないという心情は十分理解できますがだからといって御本尊を取り替えなければ功徳がないということではありません。
(研修シリーズ 1993年10月号)