三大秘法

昔の教義

本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三つを三大秘法といい、大聖人の仏法の骨格になります。本門とは真実の悟りをあらわした法門ということで、この場合、釈迦仏法と比較して、日蓮大聖人の仏法をさします。

①本門の本尊
 大聖人の仏法において、根本として尊敬するもので、三大秘法のなかでは最も大切です。何を根本として尊敬するかで、宗教の高低が決まり、したがって、人々が幸福になるか、不幸になるかも決まるのです。大聖人の仏法においては、仏法の真髄を一幅の御本尊としてあらわされました。それが弘安二年十月十二日にあらわされた一閻浮提総与(全世界の人に与えられた)の大御本尊です。
 この本尊に人の本尊と法の本尊があります。人の本尊とは、末法(現代)の御本仏である日蓮大聖人であり、法の本尊とは、大聖人があらわされた大御本尊です。
しかし、その大御本尊は、大聖人の御生命それ自体であり、人法一箇の大御本尊ともいいます。

②本門の題目
 日蓮大聖人の仏法の修行です。大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える
ことが本門の題目です。釈迦仏法のように、繁雑な修行は必要ないのです。題目を唱えることによって、大御本尊と同じ生命、すなわち仏界の最高の生命がわきいでるのです。日蓮大聖人の仏法は、一切の民衆に門戸が開かれているのです。
 この題目は信の題目と行の題目に分かれます。まず、大御本尊を絶対と信ずることが題目の根本であり、これが信の題目です。さらに、大御本尊に向かって唱題することが行の題目になります。しかし、信のなかに行あり、行のなかに信ありで一体のものです。

③本門の戒壇
 戒壇という言葉は、もともと僧侶が戒律をたもつことを誓う場所です。しかし、大聖人の仏法においては、特別な戒律をたもつ必要はなく、御本尊をたもつことが、そのまま戒律をたもつことに通ずるのです。したがって、大御本尊のおられる場所が、そのまま、戒壇になります。大御本尊の前で全世界の人々が世界平和を祈願するとき、そこが本門の戒壇なのです。所詮、本門戒壇の大御本尊の安置される場所が事の戒壇であります。
以上、三大秘法について簡単に述べましたが、三大秘法といっても、結局は、本門の本尊の一つに集約されます。
(『教学入門』昭和47年発行)


現在の教義

 釈尊の滅後には竜樹・天親(世親)・天台大師・伝教大師など法華経の心を把握した優れた仏教者たちがいましたが、だれも南無妙法蓮華経を説き広めることはありませんでした。
 法華経を含めて釈尊の諸経典の教えに説き示されていない成仏の根源の法を、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経と説き示されました。
 だれも説かなかった秘法である南無妙法蓮華経を説くに当たり、三大秘法として示されました。


本門の本尊・戒壇・題目
 三大秘法とは、「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」いう「本門」は、法華経28品の文上の本門ではなく、文底独一本門です。
 「四条金吾殿御返事」には、「今、日蓮が弘通する法門は、せばきようなれども、はなはだふかし(中略)本門寿量品に秘された法であることが示されています。
 また、「法華取要抄」では、「問うていわく、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえるところの秘法は何ものぞや。答えていわく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(336ページ)とその名目を表されています。

本門の本尊
 本門の本尊とは、万人成仏の根本法である南無妙法蓮華経であり、それを直ちに図顕された曼荼羅の御本尊です。
 曼荼羅の御本尊は、日蓮大聖人の御生命に覚知された仏の境地を説き示した本尊であるので、法本尊です。
 また日蓮大聖人は南無妙法蓮華経を体現されている仏であられるので、人本尊です。

本門の戒壇
 本門の戒壇とは、本門の本尊を安置して信心修行に励む場所です。
 御本尊を信じ持っていけば、自身の生命に積み重なった悪を消滅させ、最高の善である仏界の生命境涯を開き顕すことができます。すなわち、御本尊の受持が、そのまま戒を持つことになります(受持即持戒)。
 

本門の題目
 本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と題目を唱えることです。
私たちは、仏が智慧で覚った究極の法をそのまま顕された御本尊を信じることで、仏と同じ境地を自身に開き顕すことができます。信を以って慧に代えること(以信代慧)ができるのです。
 御本尊を信受して唱題する功徳について「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざることなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(『日寛上人 文段集』)といわれるように、すべての祈りを実現し、最高の幸福境涯を確立していくことができるのです。

(『教学入門』2015年発行)