この本尊に背く者に罰あり

御本尊の罰と功徳について

 罰という言葉は仏教用語である。罰とは「反対価値」ということで、われわれの生活に不幸を感ずる現象をいう。この現象がわれわれの生活に現われたときに、罰が出た、罰をうけたと称するのである。すなわち、反対価値とは、美の反対である醜、利益の反対である損、また、社会に損害を与える悪をいうのである。(中略)
 妙法蓮華経は、宇宙一切の森羅万象を包含する一大活動であり、人生の最高法則である。しかも、御本仏日蓮大聖人のご生命の満ちみちた大御本尊を絶対境とする生活は、他の小神・邪神・小仏の利益や罰とは、天地の相違があり、利益も大であるが、これに背く厳罰も明らかであり、背けば大阿鼻地獄へ堕する者となる。御本尊の右の御かたに若悩乱者頭破七分、左の御かたに有供養者福過十号とあるように、利益と罰は厳然とした因果の法則であり、日夜唱える題目のなかに、日蓮大聖人がこの二大原則を大声叱咤されているのである。
しかし、この大御本尊に背く者の罰は、仏が与えるものではなくて、各人の三世にわたる生命が内包する過去の罪業が、妙法蓮幸経に反対したことによって業報を痛感するのである。決して他からくるものと思ってはいけない。ただ、いかに罪業の深い者であるかを知るべきであろう。
(折伏経典)