質問集1

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大御本尊の功徳
【問9】 大御本尊様の功徳について。

【答】 どの御本尊様でも功徳はぽかり知れませんが、五十展転という法門があり、随喜功徳品の中に書かれている方程式があります。最初に御本尊様の功徳を知った人が、次の人に知らせ次から次へと知らせて、五十番目の人が法を知らせた功徳はいかぽかりかというに、世界中のありとあらゆる生物の欲する願いがかなえられ、また仏教によって声聞、縁覚の境地を得せしめる功徳ははかり知れませんが、お形木様の功徳はもっとすごいのであります。同じく常住様の功徳もすばらしいのですが、ここにいます大御本尊様(戒壇の大御本尊)はただ「妙」と申し上げる以外にない、絶対の功徳のある御本尊様であります。
(「戸田城聖 質問会集」)
塔婆供養について
【問56】 塔婆を立てて、先祖を供養するといわれましたが、毎日の題目で供養しています。これは形式であると思いますが、生命論のうえから説明してください。

【答】 形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。
塔婆供養の原理についていえば、人が死ぬと宇宙の生命に溶けこみます。色心の二法であるゆえに、この生命を塔婆という体を作って供養すれば、聞いた題目が生命に感じて業がうすくなり、苦悩を少なくし得るのです。
一個の肉体を塔婆として、これ自体が死人の肉体に変わり、自身の生命を強めることができます。この功徳は、回心法界ですから、自分の身に帰るのであります。生命論がわがらなければ、この深い原理はなかなかわかりません。
(「戸田城聖 質問会集」)
世界仏教徒会談と創価学会
【問4】 世界仏教徒会議が開かれています。最近また、日本でも開かれることになっていますが、日蓮正宗を堂々と主張したらどうでしょうか。

【答】 まずやってもわからないでしょう。創価学会の行き方はそんなまずい方法はやりません。順序として、民衆の苦悩を救えるだけ救っていけば、それでよいのです。
(「戸田城聖 質問会集」)
日蓮正宗の歴史を知りたい
【問】日蓮正宗の歴史、とくに身延離山について教えてください。

【答】日蓮大聖人は、末法の御本仏として、一切衆生救済のため、竜の口の首の座、伊豆・佐渡の両度にわたる御流罪等の数々の法難にあわれ、三大秘法の南無妙法蓮幸経の仏法を御建立になりました。
 法灯連綿とこの大聖人の仏法を受け継ぎ、守っているのが日蓮正宗なのです。
大聖人の御入滅後「二箇相承」という、大聖人の仏法の付嘱書どおり、第二祖日興上人が一宗の総貫首に、また身延山久遠寺の別当(住職)になられたのです。
 しかし、日興上人の折伏で入信していた身延の地頭の波木井実長は、当時、学頭であった日向の影響をうけ、大聖人の教えを厳格に守る日興上人から離れていき、固く禁じられていた釈迦如来像の造立、神社への参詣等の謗法を犯すにいたったのです。
 日興上人は、たびたびの訓戒にも改めない地頭のことを深く悩まれ、「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」との大聖人の御遺言もあり、正法を守り、正しく後世に伝えるために、謗法の地となった身延山を離れることを決意されたのです。
 正応二年(一二八九年)の春に、本門戒壇の大御本尊はもとより、数々の重宝を護持して、住みなれた身延山を下られ、翌正応三年十月に広布の本拠地として、富士を背にした景勝の地に、大石寺(大坊)を創建されたのです。
 したがって現在の身延山には、なんら日蓮大聖人の正義が存在しないことは、いうまでもありません。
 第二祖日目上人等の弟子、檀那の協力によって、大坊を中心に多くの坊が建てられ、ここに大聖人御入滅後九年目にして、末法広宣流布の根本道場の基盤が出来上がったのです。
 以来、七百年の間、本門戒壇の大御本尊は、総本山大石寺に厳護され、日蓮大聖人の仏法の清流は、絶えることなく今日にいたっています。
 なかでも第九世日有上人は富士門流の化儀を定められ、その教えが「化儀抄」としてのこされています。また、第二十六世日寛上人は、大聖人の正義を明らかにされ、破邪顕正の書「六巻抄」を著されています。さらに、江戸時代には、権力の弾圧にも屈せず信仰を貫いた“法難”の輝かしい歴史がしるされています。
(「仏法理解のための一問一答」)
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