池田会長指導

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創価学会第三代会長 池田大作
 池田氏は師である戸田会長の下、青年部として信仰活動、戸田の経営する事業に携わった。昭和35年に第三代会長となり、当初は、日蓮正宗の教義、御法主猊下に従うかのように見えたが、次第に宗門の化儀・化法に違う言動をとり、平成3年に池田氏個人として破門となった。平成9年まで信徒資格が残る会員に対し、宗門との分断を図った。
信仰の根本 戒壇の御本尊について
「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」観心本尊抄講義 25頁

「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。(中略)御本尊を“物”と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。信心ではありません。」大白蓮華 昭和39年8月

創価学会の本質、すなわち目的は、あくまで日蓮大聖人様の不滅の生命哲学をもって、東洋民衆を救うということであります。大聖人様の出世の御本懐は一閻浮提総与の大御本尊様、すなわち三大秘法の大御本尊様の御建立にあります。(当時、参謀室長 会長講演集第三巻)

「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」観心本尊抄講義 25頁

「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。」広布と人生を語る

「私どもが拝んでいる大御本尊様は、 一閻浮提総与の大御本尊様でございます。全世界の人々が、絶対の幸福をつかむためにも、仏になるためにも、大御本尊様を拝む以外に道はないわけです。」昭和35年9月27日 第五回本部幹部会 東京体育館


【破門後、御本尊を軽視】
「その折り、私(識者)は、『究極に求められるものは何でしょうか』と(池田に)質問しました。おそらく『板曼荼羅の御本尊』と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。(中略)このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に偏狭(へんきょう)にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た想いでした」平成5年5月3日

「宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大聖人の御書だ。」平成5年9月7日・本部幹部会
御法主猊下について
「御法主上人猊下様は遣使還告(けんしげんごう)で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです。」 池田大作『巻頭言・講義集』第3巻184頁

「唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべき」 聖教新聞 昭和54年5月4日付

「歴代御法主上人については、これは、数あるご僧侶のなかでも、ただお一人のみが御本尊を書写なさり、それを私どもが受持するのですから、その内証においては日蓮大聖人と拝しているのです。これは日蓮正宗のゆるがぬ伝統といってよいのです」昭和55年4月2日

「御本尊に関しては、厳密にいうと、唯授一人と申しまして、ただ一人にしかわからぬことなのです」人間革命 第7巻112頁

「宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人猊下が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、第六十七世日顕上人猊下に、いっさい受け継がれているである。ゆえに私どもは、日顕上人猊下の御指南を拝しつつ、正宗の伝統と法義をふまえながら、勇んでそれぞれの国で、それぞれの地域で、信心向上のための教学を研鑽し、おおいに広宣流布に邁進していただきたい」広布と人生を語る

「かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるようにみえるが、代々の御法主上人が、かならず御本尊の御図顕をなさってくださる。絶対の法が残されるのである」広布と人生を語る 第4巻216頁
血脈について
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信するい」広布と人生を語る

「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。いまここに大石寺開創七百年の出発にあたり、御当代日顕上人猊下の御慈悲を拝することは、無上の喜びであります。
(昭和59年3月31日 大石寺開創七百年記念慶祝準備会議 総本山大石寺宗務院 「広布と人生を語る」第六巻)

「ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第2祖日興上人、第3祖日目上人、第4世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第67世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。」
(「広布と人生を語る」第3巻249)

第六十七世御法主日顕猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と継承されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。」 
(「広布と人生を語る」第2巻123ページ)
御供養・財務について
「また広宣流布の日まで、学会が続くかぎり全学会員の皆さん方から一銭も寄付を取り、迷惑をかけさせていくようなことは絶対にいたしません。
(昭和35年12月7日 中国本部落成式 中国本部広間)

「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます」
(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
広宣流布について
「私が御法主猊下様、大聖人様に広布流布いたしましたと、猊下をお通しして、一閻浮提総与の大御本尊様にご報告することが、究極の、広布流布の暁の、その意義なのであります。」
(聖教新聞 昭和40年7月26日)
三宝について
「即ち、仏宝とは、末法御本仏・日蓮大聖人、法宝とは御本尊、そして僧宝とは本門弘通の大導師であられる二祖日興上人である。(略)ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人より唯受一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」
(聖教新聞 昭和53年2月26日)


【破門後・自語相違発言】
「今日における『僧宝』つまり仏法実践者の組織としては創価学会がある」
(昭和49年5月27日)
塔婆供養について
「塔婆供養の意義について述べておきたい。死後の生命は、宇宙に冥伏し、生前の因縁に応じて、十界のそれぞれの世界で、苦楽の果報を受けているのである。塔婆供養による唱題の回向によって、諸精霊に追善がなされ、生命の我を悪夢から善夢ヘと転換していけるのである。」
(昭和59年5月号 大白蓮華 池田指導)
人法一箇について
結論からいえば、事の一念三千とは、御本尊であり、事の一心三覬とは、日蓮大聖人の無作三身の御振る舞いであります。しかも、それは、「法」と「人」の関係を表しており、事の一念三千が・法となり、事の一心三観が人となるのであります。「事の一念三千・一心三観」で人法体一となっているのであります。
(昭和52年3月号 大白蓮華 百六箇抄講義)
組織について
 学会の組織というものは、政治組織では絶対にない。また、企業、会社の組織体のような「事務的関係の世界」でもない。いうなれば「生命対生命の関係の世界」「人格的関係の世界」である。ゆえに、お互いに役職の立場でなく、人間同士の信頼関係にもとづいて対話をし、仲良く助け合っていただきたい。
(「池田会長講演集第6巻」)
政教一致
「こう言うと、また政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変らないですよ。」
(平成6年9月14日 記者懇談会で)

創価学会を離れて公明党はありえない。 もし創価学会を離れた独自の公明党があるとすれば、それは既存政党となんら変わることのない存在、創価学会と公明党は永久に一体不二の関係。 」
(池田会長全集 第1巻)

公明党と学会との関係は絶対にこちら(※創価学会)が上だ。 世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている。 」
(第五十回社長会での池田大作氏発言・昭和四十年七月八日)
衆院には出ない
「今、まことに私は、せんえつな言い方ではございますが、私も創価学会の若造ではありますけれども、会長となった以上、申し上げておきたいことは、私も軍隊には行ってはおりませんし、また、政治のほうにもたずさわっておりません。あくまでも創価学会は絶対に全民衆を救っていく宗教団体であるということを貫き通していくことを宣言しておきます。(中略)創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。政治団体ではありません。」
(昭和35年6月10日 中部総支部幹部会 名古屋市金山体育館)
ファシズムについて
 ファシズムの本質はいったい何か。それは、集団力の崇拝であり、集団のなかへの個人の埋没、個の圧力的消滅であると規定できる。しかしながら、集団に帰属することによって、精神的な安定感や充足感をえるということは、人間すべてにある心理といってよい。完全な孤独状態では存在しえないのがあらゆる生物の必然的原理である。なかんずく、高度に発展した精神機能をもつ人間の宿命ともいえるかもしれない。 ここで大事な点は、個人の尊厳が否定されてしまって全体のなかに部品として組み込まれるか、それとも個人の尊厳観が根本にあって、その個人を守り支えるために全体があるか、ということである。

 高等宗教がめざす「個人の尊厳」という思想は、ファシズムにとっては、重大な障壁となる。ファシズムにとって都合のよい宗教とは、集団力を神格化した古代宗教であり、その神的力が、ある特定の個人の体内に体現されるとする〝英雄崇拝〟〝カリスマ信仰〟なのである。
(「池田会長講演集第6巻」)
安全保障について
 私はいたずらに侵略の幻影に脅かされて、武装を強化したり、反共の殻を固めたり、あるいは安全保障体制を固めることよりも、大衆の福祉向上こそ最上の安全保障であり、暴力革命の波に対するもっとも強靭な防波堤であるといいたい。
(「池田会長講演集第1巻」)
創価学会の平和主義
 創価学会は、平和主義である。しかし、それは世に流布しているムード的な平和主義でもなければ、まやかしの平和主義でも絶対ない。仏法の、生命の尊厳の哲理に立脚し、人間生命のなかにひそむ、悪魔と対決する〝戦う平和主義〟が、創価学会ではないだろうか。
(「池田会長講演集第2巻」)