原田会長指導

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暴力団との関係を証言
私、(小多仁伯)は、 一九九〇年の少し前(平成元年頃)、創価学会本部に原田稔創価学会事務総長・副会長(当時)を訪ね、懇談したことがありました。
 対談の理由は、今話題になっている、指定暴力団山口組系後藤組長の後藤忠政氏に関する内容でした。 当時私は、すでに学会本部を数年以上前に離れ、ある会社の代表取締役に就任していました。 その会社の会長から難しい相談を受けました。 それは、その会長のお母さんから、創価学会に迷惑をかけている後藤忠政氏に注意を行ない、大人しくさせたいという希望でした。  後藤忠政氏に接触する行動をとっても良いか、という相談でした。 理由は、後藤忠政氏が若い頃、その会長のお母さんの家に出入りし、食事の面倒からお小遣いの面倒までかけており、その世界での恩義を感じているから話してみたいというのです。 私は、その目的を原田氏に伝えたところ、本部に来てくださいということになりました。 私は、すでに創価学会からは〝追放〟の身分でしたから、良い機会と思い、原田氏と会うことにしました。 久しぶりの学会本部は、以前と変わらない雰囲気でした。原田氏に、創価学会と後藤忠政氏との仲介の労を取っても良いかを糾しました。
 そうすると、原田氏は、腕組みをしたり、何かを考えるそぶりをしたりして、私の話に聞き入っていました。 暫くたって原田氏は、意を決したように、「せっかくのお話ですが、あなたもご承知のように創価学会は、これまで、そのような方々の助けを借りてきた歴史も正直言ってありました。しかし、この世界の人たちは、一度頼みごとをすれば、次々に深みに入り込みます」「学会本部では、さんざん検討をしましたが、何を言われようとも、この世界の人たちとの関係を断ち切ろうということになったのです」と話しておりました。
 私は、一語一語確かめるように話す原田氏の説明にとても納得できました。 「大変でしょうが、その選択は正しいように思います。会長とお母さんに良く伝えて おきます」と謝礼を言って本部を退去しました。
(「カルト創価の終焉」福本潤一・小多仁伯著)
日蓮正宗が正統たる根拠
 このような周囲の動きに対して、日興は日蓮仏法の正統を守り、未来の広宣流布の基礎をつくるために、富士に居を定め、法水の清流を守ったのでした。そして「法水写瓶」――器から器へ水をうつすように血脈付法されて、代々の法主に相伝されてきたのが日蓮正宗なのです。なかんずく、日蓮仏法の最終的帰結であり日蓮大聖人出世の本懐たる、弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊が、七百年間、富士大石寺に厳護されてきたことは、日蓮正宗の正統性を立証する上で決定的な証拠であるといえましょう。
(「青年と仏法――五〇問五〇答」原田稔」)
戒壇の大御本尊と決別
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
(聖教新聞 2014年11月8日付)
戒壇について
ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも“電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねないのであります。
(聖教新聞 2014年11月8日付)
学会が御本尊を認定
創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勍の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
学会の教学の根本
私達の教学運動の原点は、もちろん大御本尊と御書であり、根本の師は御本仏日蓮大聖人以外にはありません。
(昭和52年2月号 大白蓮華 原田稔青年部長)
五座三座の勤行
さらに広宣流布という遠大な革命も、究極は一個の生命の連続革命に帰着するという人間革命の原理からいうならば、五座三座の勤行の正確にして不断の実践は、何よりも肝要なことである。絶対に切れない広宣流布の流れの中に自らをおき、五座三座の勤行の基本に徹底して挑戦しゆくことこ
そ、すなわち自分自身の生命における勝利であリ、学会精神の確立もそこから形成されるのである。いたずらに惰性に流され、朝晩の勤行をいいかげんにしていては、たとえいかなる言句を弄し、いかなる行動をとったとしても、もはや学会精神に立脚した姿とは言い得ないであろう。
(昭和52年7月号 大白蓮華 原田稔青年部長)