創価略年表

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創価学会沿革

 創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として、信仰活動を始めたが、池田大作会長の時代に宗門に反する指導を行い、平成3年に破門となった。第6代・原田会長の時代には、それまで信仰の根本としてきた「戒壇の大御本尊」を信仰の対象としないことを決め現在に至る。


創価学会の略年表

昭和3年6月頃 (1928)
後に初代創価学会会長となる牧口常三郎が日蓮正宗信徒・三谷素啓の折伏により入信。戸田城聖も入信する。
昭和5年11月18日 (1930)
「創価教育学体系」第1巻を発刊。
後年、この年を創価学会創立と定める。
昭和7年7月 (1932)
宗門 牧口常三郎 直達講幹事に任命
昭和18年7月6日 (1943)
牧口、戸田ら逮捕
昭和19年11月18日 (1944)
牧口会長獄中で逝去
昭和20年7月3日 (1945)
戸田城聖 豊多摩刑務所から出獄
昭和20年7月5日 (1945)
戸田は中野・歓喜寮を訪ね、堀米御尊師(のちの日淳上人)に対して
「申し訳ありませんでした。2年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました」といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに「これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(戸田城聖S20.7.5=出獄の2日後/法照寺・石井栄純尊師が日淳上人夫人より伺った事実/『慧妙』H13.9.1)
昭和22年8月24日 (1947)
池田大作氏 日蓮正宗に入信
池田氏の当時の心境
「三十分間ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました」、また「家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、その時思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)
昭和26年5月3日 (1951)
戸田氏第二代会長に就任(東京・常泉寺)
昭和28年5月 (1953)
秋谷栄之助論文
「相伝がない所に仏法は存在しないし、相伝がない本尊を拝めば、功徳がないばかりか、正法にそくむ謗法である」 「然るに一般日蓮宗は(中略)或いは経巻相承なんどと稱(しょう)し、大聖人様の仏法は唯授一人という狭義ではないなどと、全く総別の二義をわきまえざる僻見を立てている」(大白蓮華・相承の重要性について)
昭和30年3月10日 (1955)
小樽法論(小樽市公会堂) 
日蓮宗身延派と公開法論 昭和30年3月、創価学会の大進出による檀家の減少にたまりかねた 身延派では、学会員の少なかった北海道小樽で、法論対決を迫ってきた。(日蓮正宗教学小辞典創価学会教学部編より、S47年版)